2023/07/23 13:31
その年の暮れ、彼は「脳性まひ」による肢体不自由児であることが、医師の診断でわかりました。
それまで当然のように、「1年間の育児休業をとったら復職する」と考えていた私にとっては、まさに青天の霹靂。それからしばらく、拒絶、怒り、不安、いろんな感情が身体中を駆け巡っていたことを、今も鮮明に覚えています。しかし、息子のリハビリに全力を注ぎ、障がい児育児と向き合ってきた4年間の経験は、私に多くの気づきを与え、こうして起業に至りました。
少し長くなりますが、IKOU ポータブルチェアが生まれるまでのストーリーをご紹介させてください。
株式会社 Halu
代表取締役 松本 友理
ベビー用品から見えた、社会の隔たり
障がい児と診断された息子との日常生活を通じて気づいたことは、色々あります。中でも、のちに起業へとつながる課題意識が芽生えたのは、息子の生活用品を探していたときのことでした。
本来、赤ちゃんが使うものを買うことは、素敵なもの、欲しいものを探す、心躍る体験だと思います。しかし、世の中のベビー用品には、「障がい児専用」と「健常児にしか使えないもの」という暗黙の隔たりがあって、前者は多くの場合、見た目よりも機能性に特化しており、選択肢も非常に少ない。障がい児は「使える」ものの中から選ぶしかないという現実に、私は親として直面しました。
それは特に、ベビーカーやベビーチェアなどの家具において顕著でした。みんなと同じものを使いたい、という気持ちがあるものの、息子のような肢体不自由児は体幹が弱く、自力で座った姿勢を保つのが難しいので、そのままでは安全に使えない。
「あとちょっとの工夫さえあれば、障がい児でも一般のベビー用品のなかから選べるのに」
そんな思いでベビー用品店を回っては、使えそうなプロダクトを探したり、どこが工夫されていたら使えるか思案することが、いつしか実益を兼ねた趣味になっていました。しかし目の前の現実は、誰から見ても「障がい児専用」とわかるような福祉機器に囲まれた生活。その上、気軽に持ち運べて、外出先でも安定した姿勢を保って座らせられるようなプロダクトはないために、親子で家にこもりがちでした。
こうやって、「障がい児」がいる家庭と、そうでない家庭は、お互い遠い存在になっていくんだろうか?
この社会の隔たりを埋めることはできないんだろうか?
こうした問いが、たびたび頭をよぎり始めました。
これまでにない「イス」をつくる
私は新卒から10年間、トヨタ自動車に勤務していました。プロダクトマネージャーとして、カローラ等のグローバル戦略車の商品企画や、コーポレート価格戦略を担当し、夢中でものづくりの世界に没頭した日々は、今思い返してもワクワクします。そんな大好きな仕事を休職し、3年に渡って障がい児育児に向き合う中で気づいた、プロダクトが生み出す社会の隔たり。私は、自分がトヨタで「ものづくりの力」を学んできたのは、この課題解決に挑むためだったのかもしれないと、強い使命感を感じるようになりました。
自分自身が当事者である、障がい児ファミリーというエクストリームユーザーの視点を活かした、障がいのある子もない子も使えるプロダクトを作りたい。
この強い気持ちが最初に向かったのは、「イス」でした。
息子のような肢体不自由児の多くは、医師の診断を受けてから「座位保持装置」と呼ばれるハイチェアのような大型の福祉機器を購入し、1日の大半をここに座って過ごします。工房で一つずつ手作りするため、発注から入手までは約半年かかり、助成金なしにはとても手の届かない高額な製品です。
その名の通り座った姿勢を保持する機能には大変優れている反面、非常に大きく重量もあるため、外に持ち出せないことはもちろん、家の中でも居場所が固定されて孤立しがち。
もっと誰でも手が届く価格で、障がいがある乳幼児ファミリーも、そうでないファミリーも「使いたい」と思える。子どもたちが、家族や友だちといっしょに過ごす時間がもっと豊かになる。ポータブルで、気軽に持って外出できるようになる。そんなこれまでにない乳幼児向けの「イス」をつくりたいという想いが、IKOUポータブルチェアの出発点でした。
求めるのは、「機能」よりも「気持ち」
2019年の春、私は、人間中心デザインで知られる米国西海岸発祥のグローバル・デザインファーム IDEOの日本法人を訪ねました。IDEOにはトヨタ時代の先輩がいたため以前から興味を持っていましたが、同社の記事や本を読み漁って、「この構想を、世界に通用するデザインに落とし込むためのパートナーは、IDEOしかない」と強く確信していました。とはいえ、当時こちらはまだ事業化すらしていない、たった一人のプロジェクト。無謀とはわかっていながら門戸を叩き、IDEO Tokyoの工業デザイナーたちにプレゼンする機会をもらえたのは、本当に幸運だったと思います。その後彼らにこちらの熱意と使命感が伝わり、協働できるとわかった時、私も退路を断つ覚悟を決め、トヨタ自動車を退職しました。4週間のIDEOとのプロジェクトがキックオフしたのは、同年8月。まずコンセプトを固めるため、息子と同じような肢体不自由児を抱えるファミリーたちの生活に密着するユーザーリサーチを行いました。
「座る」をテーマに、一人ひとりと深く向き合うことで見えてきたのは、椅子に求める機能よりも、「家族みんなで同じ空間にいるときの距離をもっと縮めたい」「もっと子どもと一緒に外へ出かけて、色々な経験をさせてあげたい」といった、ユーザーの感情でした。
私たちがつくるプロダクトは、100%正しい姿勢を保つ機能性よりも、使う子どもたちとその家族の「気持ち」に寄り添うことを優先しよう。子どもたちが大切な人と一緒に過ごす時間がもっと豊かになる、誰もが持って出かけたくなるようなデザインを追求しよう。こうしたコンセプトを元に、「ポータブルチェア」のデザイン開発がスタートしたのです。
"Inside for children, outside for parents."
イスの形状に関するデザイン開発のフェーズにおいて生まれたアイデアは、100以上。その中から何十個ものプロトタイプ(廃材などを使った簡易試作品)を作ってユーザーテストを繰り返し、最適なデザインを探っていきました。「障がい児も使える」というコンセプトを考えると、従来ならこのフェーズで医療・リハビリ関係者の意見を聞き、シーティングの考え方に基づいて椅子の形状を検討するでしょう。しかし、それでは結局「正しい姿勢の保持」に特化した、既存の福祉機器と同じ形状になってしまう。そうなれば、決して「ポータブル」なプロダクトにはならないことが目に見えていました。
比重を置きたいのは、機能性より、使う子どもたちとその家族の「気持ち」に寄り添うデザイン。
そのコンセプトに忠実であることを決めたチームは、再び障がいの有無を問わず様々な子どもたちとその保護者を集めました。そして、子どもたちにプロトタイプに座ってもらい、その様子を見た親の意見を聞いては改良することをひたすら繰り返す、というアプローチをとりながら、形状をデザインしていきました。
比重を置きたいのは、機能性より、使う子どもたちとその家族の「気持ち」に寄り添うデザイン。
そのコンセプトに忠実であることを決めたチームは、再び障がいの有無を問わず様々な子どもたちとその保護者を集めました。そして、子どもたちにプロトタイプに座ってもらい、その様子を見た親の意見を聞いては改良することをひたすら繰り返す、というアプローチをとりながら、形状をデザインしていきました。
こうして形が固まり、次は外観のデザイン。チームは、リサーチの際に親たちから挙がっていた、「福祉機器を見るたび、障がいのことをリマインドされたような気分になる」、「既存のベビー/キッズ用品は、ポップでかわいいデザインに偏っている」といった声が気になっていました。
そこで生まれたのが、”Inside for children, outside for parents.”というガイドラインです。座り心地は「子ども」が快適さを感じられるものを、見た目は「親」が持って出かけたい、と思えるようなものを、という意味合いです。
我が子のために全力で頑張る「親のために」、ジェンダーニュートラルでシックなデザインをまとったプロダクトのイメージが完成しました。
共感の輪がつないだ、業界のプロフェッショナルたち
デザインが決まり、次はいよいよ製品化のフェーズ。消費者の目が厳しい日本ではもちろん、海外でも通用する高品質なプロダクトを設計、量産できる開発パートナーを探すことは、大きなチャレンジでした。創業したばかりで実績のないスタートアップの、これまでにない製品作りに協力してくれる一流企業なんて、いるのだろうか。そんな不安を抱えながらも、前職でお世話になった方々を訪ね歩き、最初に救いの手を差し伸べてくれたのが、東レ・カーボンマジックの奥 明栄社長でした。東レ・カーボンマジックは、レーシングカーの開発を長年手がけており、自動車・バイクをはじめ、様々な精密機器の設計・解析から試作・量産を手がけるメーカーです。奥社長は、「コンセプトに共感するし、イノベーションを感じるプロダクトだ」と、製品化に向けたエンジニアリングプロセスに加わってくれることに。設計面を細かく見てもらったところ、早速課題が見つかりました。
「すべての機能を満たすと重量がかさむことが予想される。お母さんでも持ち運べるようなポータブルなものを作るなら、高レベルでの樹脂化ソリューションが鍵を握るだろう。新しいことへのチャレンジが得意なあの人を紹介しよう。」
そういって紹介してくれたのが、新製品開発に多くの実績をもつ、鳥越樹脂工業の鳥越社長でした。鳥越樹脂工業は、各種自動車メーカーのディーラーオプションで扱われる純正用品の生産など、寸法精度を要求される製品作りで長年の実績がある老舗メーカーです。奥社長同様、IKOUの事業目的に感銘を受けたと、開発チームに加わることを快諾してくれました。
こうして共感の輪が繋がり、設計・量産に向けた開発体制が出来上がったのは、2020年6月のことでした。
ペットボトル何本分なら運べる?
開発チームに加わってくれたメーカーさんたちは2社とも、業界トップクラスの技術と実績を誇る企業とはいえ、「乳幼児用のポータブルチェア」を作るのは初めて。しかもこれまでにない仕様のプロダクトということで、まずは樹脂で試作品を作り、そこから問題点を洗い出すことになりました。1ヶ月後に完成した試作品を使って実施したユーザーテストに協力してくれたのは、健常児から、ダウン症児、息子同様の肢体不自由児など、10人の子どもたちとその保護者。ニーズの異なるさまざまな子どもたちに座ってもらった結果、(腰がすわっている乳幼児であれば)姿勢が安定した状態をキープできることが確認できました。何より、保護者たちから「(これがあれば)気兼ねなく外食に行けそう」「汎用品なのにオーダーメイドみたいに座り心地が良さそうで、今すぐ欲しい」といったフィードバックがあったことが、開発チームにとって大きな自信に繋がりました。
しかし、当初から東レ・カーボンマジックの奥社長に指摘を受けていた通り、このプロダクト開発における要は、軽量化。そもそも、育児者が「ポータブルチェア」として持ち運ぶ際に無理のない重さを確かめるため、製品と同じサイズの箱に500mlの水のペットボトルを入れてユーザーたちに肩がけしてもらい、何本までなら問題なく歩けるかをテストしました。
結果は6本。3キロを目標値に設定することにしましたが、この時点の重量計算で出てきた数字は、4キロ。約1キロ近く重量を減らすために、最も重さが出やすいアルミの部品を樹脂に置き換えることになったものの、安全性のために強度を落とすことはできません。チームは試行錯誤を繰り返し、2020年の年末、ついに量産と同じ材料で作った第二次試作品が完成しました。
コストダウンの目標は40%
前述の通り、私たちがプロダクトのポジションとして目指していたのは、肢体不自由のある障がい児でも使える機能を備えた、「一般消費者向けの量産品」。障がい児ファミリーが補助金を使わずに直接購入できる価格を実現するために、金型投資によって一台当たりの変動費を下げ、モデルライフを通して固定費を償却しながら台数を売り支える戦略をとっていました。しかし、金型費用も製品原価も予想以上に膨れ上がり、設計は固まったのに40%ものコストダウンを達成する必要がありました。機能を必要最低限に抑えたつもりでも、部品点数が多すぎたのです。設計者たちからは、「ティルト機構を廃止しては」という案も出ました。しかし、座った角度を保ったまま座面ごとリクライニングできるティルト機構は、体幹が弱く前滑りしやすい乳幼児にとって必須の機能。幅広い子どもたちが使えるプロダクトにするためには、絶対に譲れませんでした。
そこで、大手メーカーの樹脂部品を主としたものづくりのエキスパートである蟹江庸司さんにもメンターとしてアドバイスをもらいながら、開発チームで一丸となって、問題の根本を洗い出し、品質は落とさずに一つ一つの機構をシンプルなメカニズムに置き換え、部品点数を減らすという地道な努力を続けました。
この一連の作業には約半年もの時間を要しましたが、その甲斐あって、なんとか目標コストを実現することができたのです。知恵を絞ってコストダウンに協力してくれた鳥越樹脂工業の皆さんのおかげで、製品化に向けた最大の難関を乗り越えることができました。
「しっとり感」の共有
2021年8月、チームはいよいよ量産に向けた準備に入ります。この最後のフェーズの最大の課題は、量産時にいかにイメージ通りの「高級感」「質感」が感じられるクオリティに仕上げるか。このタイミングで、自動車メーカーからも高い信頼を得る樹脂の表面加飾専門メーカーであるモールド・テックの協力も得ることができ、微に入り細を穿つ調整に集中しました。私は、「高級感」や「しっとり感」を表現したい、と主張していましたが、前述の蟹江さんから、「見た目や感性を表す言葉は人によってイメージするものが異なるから、開発チーム全体でちゃんと共有した方が良い」との助言がありました。その後、蟹江さんができるだけ多くの具体物を使いながら私の表現したいことを確認し、皆が同じものを目指せるように伴走してくれなかったら、このクオリティは実現しなかったかもしれません。
全員の強い想いが生み出したプロダクト
結局、IKOUポータブルチェアの開発には、構想から量産に至るまで、実に3年という歳月がかかりました。その間、新型コロナウィルスの影響もあり、思い通りに行かなかったことは挙げればきりがありません。それでもこうして自信を持って世に出せるものが完成したのは、開発に関わった一人一人がユーザーの生活を想像し、気持ちに共感し、「絶対に良いものをつくって届けるんだ」という強い想いを最後まで共有できたからだと自負しています。このチームの想いが一人でも多くのユーザーに伝わることを、心から願っています。